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2009年3月

2009年3月20日 (金)

コブリン@ソウル芸術の殿堂(2009.3.13)

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韓国ではプログラムは有料、1,000ウォン(約70円)なり。
表紙にコブリンの顔が2つみえますが、わかりますか?

韓国・KBSオーケストラ 第627回定期公演
会場:ソウル 芸術の殿堂(ソウルアートセンター)
指揮:クラウス・ペーター・フロール
ピアノ:アレクサンダー・コブリン

プログラム
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲2番 ハ短調 Op.18
(アンコール シューマン:子供の情景より第1曲)
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 Op.74 "悲愴"

ソウルアートセンターは美術館、オペラハウス、コンサートホール等がある複合施設で、とても広くて立派でした。

http://www.sac.or.kr/eng/about/Hall.jsp

ガイドさんいわく、ここは格式が高くて、いかに人気があろうとも、芸術性が高いと認められなければ、上演させてもらえないのだそうです。
韓国でとても人気のある歌手(クラシックではない)が、何度もコンサートをしたいと申し込んでいるのに断られ続けており「それはおかしい」と不満を述べているのだとか。

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コンサートホール入り口の看板?です。
中に入ったらいきなりカレーライスの匂いがしました。
カフェがあって、ほんとうにカレーを食べている人がいたのでした。
奥のほうにCDショップがあり、狭いながらもかなりの充実度。
ソン・ヨルンちゃんのCDを記念に買いました。
2枚組みで15,000ウォン(約1,000円)。
ブレハッチ+ドンヒョク+ドンミンというショパコンライヴ盤もありました。
時間があればゆっくりショッピングしたかったのですが、次回の楽しみにとっておきます。

コンサートホール
http://www.sac.or.kr/eng/about/Hall_music.jsp

コンサートのポスター。

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私のチケット。1階7列6番。

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このホールは2,500人収容で横にも広く、この座席は舞台の出入り口のほぼまん前ぐらい。
日本のピアノリサイタルと違って、夫婦やカップルのお客さんが多かった。
私の両側は50~60代の夫婦でした。
日本でもオーケストラだと男性客が多いかしらね?
あまりよく知らないんだけど。
年齢層は若い人から年配の方までまんべんなくって感じでした。
日本だと着物の人を見かけるけど、民族衣装の人はいなかった気がする。
みなさんきちんとした格好をなさっていました。
コートを着たまま着席する人がほとんどなのがおもしろかった。

公演に先立ち、プログラムおよび演奏者についての解説がありました。
当然ワタクシには内容はわからなかったんですが、
「アレクサンダー、アレクサンダー、アレクサンダー…」
と肝心なところで言いよどんでいたので
「コブリン、だよっ!」
と心の中でつっこんでおきました。

お客さんの入りは1Fほぼ満席、ステージ左右後方8割、2階は空席あり、3階は確認できず。
結果的には当日券狙いでも十分大丈夫だったようです。

オケのメンバーがぽつぽつとあらわれ、最後にコンマス登場。
大拍手。
うやうやしくお辞儀をするコンマス。
ピアノをポ~ンと鳴らしてチューニング。
静まったところで舞台脇の扉が開き、まずコブリン、つづいて指揮者のフロール氏登場!
コブリンは最近の定番ファッション、黒タートルに黒上下+笑顔、フロール氏は黒シャツに燕尾服。
毎度しつこいので今回で書くのをやめますが、お兄さん、くだけてきましたねぇ。
ピクリとも笑わないアナタの姿が刷り込まれてるので、スマイルにいちいち反応しちゃうんだよね。

ラフマニノフピアノ協奏曲第2番。
遠く、静かにピアノが鳴り始めました。

そうなんですよ、ちょーっと音が遠いんですよ。
会場でかいし、ピアノの屋根はあっちむいて開いてるし。
コブリンからは決して遠くなかったんですが。
もう少しダイレクトにピアノの音が聞こえる方がベターでしたが、首をひん曲げて(右45度ぐらいにピアノがある)ピアニストを凝視し続けたら、どんどん音が耳に入ってくるようになりました。

コブリンの動きは実によく観察できました。
すっと伸びた背中。
しなやかに、舞うように広がる腕。
演奏中の顔は一切見えなかったけれども、どんな表情で弾いているのか、手に取るようにわかりました。
マニアなんで。

ソウルという異国の地で、コブリンの背中を見ながら、みえない表情をみているというこの状況。
浜コンで出会って以来、自分とコブリンの間に積み重なったもの、もちろんファンとしての一方的なものだけれども、それは決して小さくなく、確かに存在しているのだと実感され、なんとも言えない気持ちになりました。

よく凝った解釈を開陳なさる昆布先生、ラフマニノフについても「あそこがいつもヘン!」といった意見を聞いたことがありますけれど、彼のラフマニノフでハズレを引いたと思ったことがないんですよ。
パガニーニラプソディの有名な第18変奏、あれを弾いている彼をみたことありますか?
ドップリのウットリですよ(笑)
このPコン2番もご存知のとおりドップリのウットリがてんこ盛りですんで、もぉぉ、たまりませんでした。
クールかつロマンチック。
そのブレンド具合が絶妙なんザンスよ。
彼のラフマニノフはとってつけた感が全然なくて、自然に湧き出てきたもののように感じるのは私だけじゃありますまい。
ひとつひとつの音にこめた思いを、これまたコブリンの背中と腕は饒舌に語るのでございます。

ピアニストの後ろ側って実はいい席かもしれない。
妄想全開、顔が見えるとき以上に絆(笑)を感じてしまった夜でありました。

今回、私を除く同行者4人のうち、コブリン3回目という人が実は2人もいました。
2回目という人も1人。

「な~んか雰囲気が柔らかくなったね」
「ピアノ上手くなったんじゃない?」
「見せかたも上手くなった気がする」

でしょ~?でしょ~?でしょ~?

プログラムの裏表紙はこんなでした。
韓国で絶賛放送中?いずれ日本上陸か?

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2009年3月 5日 (木)

ソウルでラフマニノフを

KBS交響楽団第627回定期コンサート
ロシアの叙情、ラフマニノフとチャイコフスキー

2009年3月13日(金) 20:00
韓国・ソウルアートセンター コンサートホール
指揮:Claus Peter Flor
ピアノ:Alexander Kobrin

プログラム
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18
チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調作品74 '悲愴'

なんとですね~、このコンサートを聴きに行くことになりました。

しかも総勢5名で駆けつけます。

コブリンのマネジメントをしているIMGのHPを眺めていて、3月の12、13とKBSオーケストラと共演という記事を発見したのが事の発端。

「ふ~ん、韓国のオーケストラなのか~、ソウル、円高、飛行機2時間、行けるんじゃないの?」

てな話を職場でしたところ

「韓国?いいじゃん!会社ヒマだし!みんなで行く?あなたコンサート行きなさいよ。私たちは観光するから。」

なんと専務をふくめ5名参加という、立派な職場旅行計画へと発展してしまいました。

そして

「たまにはコンサートもいいかもね。私も行こうかしら」
「みんなが行くなら私もいくわ」
「私も」

という感じで、他の4名も「コブリン聴いてもいいよ」と言ってくださいまして、全員参加とあいなりました。

すばらしい(笑)

ひとりでホテルに残ってもつまんないですからねwww

コンサートチケットはどう手配するのか?という問題もありますが、まずはソウルへ行かなきゃ始まりませんネ。

わたしゃ新幹線のキップを買う感覚で海外にも行けると思っていました…

3月の韓国は超人気で全然空きがない!

飛行機ホテル、すべていっぱい。

ネットで数件問い合わせましたが全部ダメ。

大手旅行会社の窓口をめぐるもダメ。

9割方あきらめたとき、「地元の旅行代理店に聞いてみたら?」ということになりました。

大手で取れないものが、失礼ながら小さな代理店で取れるのか?

ハナから期待していませんでしたが、なんと!飛行機もホテルも取れたんですねぇ!

素晴らしき哉、地元の旅行代理店。

コンサートチケットについては楽観していたんです。

日本から韓流スターを見に山のように押しかけるじゃありませんか。

絶対手配サービスがあるはず!と踏んでいたのですが。

JALとペリカンのチケットサービスに問い合わせるも

「韓国は扱っていません」

とつれないお返事。

韓流スターのコンサートチケットを扱っているHPも多数あるんですが、取扱商品が限られているようなんですね。

こりゃ当日券に賭けるしかないのか?

旅行代理店にも「コンサートチケットはやってないんですよ~」って言われてて、J○Bにも同じこと言われて、これは自力で取るしかないんだなと思ってたのですが、飛行機とホテルが取れたところで、旅行代理店が

「おっしゃっていたコンサートチケットも手配しますよ。コンサートの情報がわかるものをFAXしてください」

と申し出てくれたんですねぇ。

旅行が確定すれば案外手配してくれるものなのかもしれません。

それからの行動は早かった。

連絡もらってから即(仕事中)、KBSオーケストラのHPをあたり(会社のパソコンで)、
コンサート情報を印刷し(会社のプリンタで)、
会場であるソウルアートセンター・コンサートホールの座席表を印刷し(〃)、
「ここからここの範囲の座席にしてください、なぜならピアニストがみえないから」としるしを書きこみ(会社のマジックで)、
「1人はS席、4人はD席希望です。希望の席がない場合は、1人はS>A>B>C>D、4人はD>C>B>A>Sの順で席を当たってください」とややこしいお願いを書き(〃)、
ズルズルッとFAXしました(会社のFAXで)。

待つこと2日間、本日「コンサートチケット取れました」の吉報が届きました!

いやあ、韓国へ行くことは決まったけど、コンサート行けなかったらマヌケだよなあと心配しましたが一安心です。

それでもS席、D席は取れなくて、A席、C席になりました。

A席が5万ウォン、日本円で3,000円、C席は3万ウォン、日本円で1,800円。

安いっ!オーケストラですよ?コブリンのリサイタルでも、もっとしますがな。

「100年に一度の不景気」がなければ、この旅行もなかったと思います。

たくわえのあるうちに遊んできます(笑)

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2009年3月 3日 (火)

わたしが一番

♪日曜日に愛人と逢い、月曜日に女房にバレた
 シュラシュラシュラシュラシュラ修羅場~
 シュラシュラシュラ修~羅~場~♪
(嘉門達夫 替え歌メドレーより『一週間』)

pig  pig  pig

吉行淳之介と中島らもの書いたものが好きでよく読んだ。
どちらもエッセイに夢中になったのが始まりで、小説も一通り読んだが、今でも手に取るのはエッセイや対談だ。

吉行・中島、ふたりの共通点は、女性関係がフクザツだったことである。
ともに学生結婚した糟糠の妻がありながら、世に認められるようになったころ家を出てしまう。

吉行淳之介には妻(吉行文枝)・パートナー(宮城まり子)・愛人(大塚英子)がおり、中島らもには妻(中島美代子)・愛人(わかぎゑふ)がいた。
それも「主な登場人物」という感じで、関係のあった人は一体どれほどの数になるのだろうか?

と書いていて気がついた、私は女たらしが好きだったのか…
知らんかったわ(笑)

作家の没後、女性たちが回想録を書いていることも共通している。
吉行淳之介はなんと妻・パートナー・愛人、三人そろってである。
男女の仲、お互い様とはいえ、男にさんざんひどい目に遭わされてきたのに、それらの女性たちが申し合わせたように(読んでいないものは書評から推測して)
「私がいちばん彼を理解している、彼はとても優しかった」
と言っているのには驚いた。
自分がいちばんと思わなければ立場がない、ということなのだろうか?
わたしはその手の修羅場を経験したことないので、精一杯想像してみるのだけど、よくわからない。

吉行文枝さんと宮城まり子さんの手記には、ライバルの存在は書かれていても、相手を真っ向から攻撃するような記述はなく、自分の悲しみをつづるにとどめている。
それが救いになっていて、読後にじんわりと、恋(いと)しさとせつなさと心強さが胸にしみてくる文章になっていると思う(copyright小室哲哉)。

といっても、まったく毒がないわけではない。

妻・文枝さんは、若いころの吉行淳之介が
「僕が死んでも絶対に記念館みたいなものは建てないでくれ」
と言い、妻が
「それは一生変わりませんか?」
とたずねたら
「そうだ」
と答えた、というエピソードを紹介している。
これはパートナー・宮城まり子さんが「吉行淳之介文学館」を建てたことに対する批判であろう。

宮城まり子さんは略奪愛の形で、淳之介氏が亡くなるまで40年近く一緒に暮らした人だ。
吉行淳之介文学館は森の中にあるすてきな和風建築で、まり子さんが心を尽くして建てたことがわかる。
原稿や遺品が多数展示されており、その中には若かりしころの淳之介氏がまり子さんに宛てた手紙もあった。
これがなかなか強烈で
「妻が病気でおかしくなって僕は耐えられない、君に早く会いたい」
みたいな内容だったりする。
遺言状も展示してあった。
『全著作権の二分の一を宮城まり子に贈与する、葬儀の喪主はまり子とする…』
まり子さんは著書でも「私に二分の一贈与と書いてある。身に余る重さだ。」と遺言に触れている。

淳之介氏が病院でなくなったとき、そばに居たのはまり子さんだった。
しかし息を引き取るとまり子さんは病室を出されてしまったという。
死亡の確認は家族でないと行えないからだ。
まり子さんは家出してきた淳之介氏のお嬢さんと2年間も同居し、お嬢さんが結婚するときには母親がわりに支度をととのえ、送り出したのだという。
淳之介氏の母・あぐりさんとも仲がよいという。
それでも「家族」ではない、ということを最後の最後につきつけられたのだ。

文枝さんは手記では触れていないが、離婚に一切応じなかったらしい。
まり子さんは「愛がないなら別れればいいのに」と思い、淳之介氏に何度も別れてちょうだいとわめいたそうだ。
このころ淳之介氏は妻からもパートナーからも責め立てられ「他人から見たら結構なご身分みえるかもしれないが全くそうではない」といったことを書いている。

淳之介氏は存命中、文枝さんに生活費を送り、文枝さんの手記によれば、年に一度花を持って会いに行くことを欠かさなかったという。
文枝さんはそれがとても嬉しかった、いつでも彼は優しかった、となつかしんでいる。
そして現在、岡山の吉行家の墓にお参りするときが一番心が落ち着く、と言う。
正当なる妻であるから、「墓」の前では彼女より前に出られる人はいない。
亡くなってやっと自分のところに戻ってきた、ということなのだろうか。

先ほど書いたように淳之介氏を見取ったのはまり子さんで、最期の言葉は「まりちゃん」だったという。
ところが、まりちゃんLOVEなはずの淳之介氏は、まり子さんの病院通いのスキを狙っては、ちゃっかり愛人・大塚英子さんを病室に呼び寄せていたのである。
しかもまり子さんの悪口をしきりにこぼしていたというからビックリだ。
(大塚英子さんの手記に書かれているらしい。私は未読)
どこまでもヒドイ男である。
大塚英子さんとも30年近くの付き合いだったというから、正直、よくやるなあ、信じられないと思った。
作家の書いたものは書いたもの、私生活は私生活、とわかっていても、これ以上知ってしまいたくない気持ちが働いて、大塚さんの手記は読まずにいる。

中島らもはエッセイで「肝心なところは上手く抜いて」身の回りのことをよく書いていたから、妻・美代子さんの手記(暴露話がけっこうあった)を読んでもさほど驚かなかった。
むしろあちこちがつながって、ガッテンガッテンガッテン!といった感じがした。
それより美代子さんの天然エキセントリックぶりに目を見張った。
この妻ありてこの夫あり、だなと。

中島らもが吉行淳之介と違うところは、離婚話を一度たりとも持ち出さなかったらしいことである。
しかしながら、家を出た後、吉行淳之介のように自ら家族に送金することはせず、なんと愛人が頃を見て妻子にお金を振り込んできたのだという。
このエピソードを読んだとき、頭に血が上るのを感じた。
最悪。
とことんヒドイ男である。
それでも妻は夫を愛していたといい、父帰る状態で夫がが帰ってきたときには暖かく迎えるのである。
最初からあなたにはわたししかいないのよ、という勝利宣言が聞こえるような気がした。

愛人・わかぎゑふさんは他の男性と結婚し、沈黙を守っている。

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